ローマ帝国の国教
300年近くに及ぶキリスト教への迫害に終止符を打ったのは、ミラノ勅令を発布しローマ帝国の分裂の危機を脱した『ガイウス・フラウィウス・ウァレリウス・コンスタンティヌス』大帝でした。
ローマ帝国内において、キリスト教徒が他の宗教と同じ権利を持ち保護されることを承認しました。この勅令によってキリスト教は正式にローマ帝国に公認されたのです。
そして324年、コンスタンティヌス大帝はローマ帝国の再統一を成し遂げ、翌年の325年に教義の統一が行われ、創造主としての神は唯一の父のみとします。
イエス・キリストの聖性を否定していたアリウス派は異端とされ、父なる神とその子イエス・キリスト、聖霊は一体とする「三位一体説」を唱えていたアタナシウス派のキリスト教が正統と認められたのです。
392年、アタナシウス派キリスト教はローマ帝国の国教となります。この時からキリスト教は大きくヨーロッパでその勢力を伸ばしていきます。
それは同時に後の西洋のクラシック音楽の源流となる、ローマ・カトリック教会の典礼音楽や聖歌の発達へと繋がり、「ミサ」や死者のためのミサである「レクイエム」などが誕生していきます。
<コンスタンティヌス大帝>
キリスト教教会の儀式の中から生まれた『ミサ』
『ミサ』とは、「イテ・ミサ・エスト(Ite, missa est)」という古代ローマの時代以降広く用いられてきた言葉から生まれ、この言葉は集会の終りを告げて会衆たちを解散させるために使われていました。
クラシック音楽の「ミサ」や「レクイエム」の音楽は、キリスト教教会の儀式の中から生まれ発展してきました。キリスト教教会はこの言葉の中に、信徒たちを社会に派遣するというニュアンスを込めていました。
ミサはやがてキリスト教典礼の中心となる礼拝集会を指すようになり、感謝と賛美を神に捧げる儀式となります。ミサは「ことばの典礼」「感謝の典礼」「変わりの儀」の3部分で構成され、その前後に「開祭」と「閉祭」があります。
また、原則として常に同じ式文を用いる「通常式文」と呼ばれるパートと、教会暦の意味合いや婚儀なのか葬儀なのかによって、個別に決められた式文を使う「固有式文」というパートによって構成されています。
ミサを進行していく司祭や牧師は「司式者」と呼ばれています。最初の「開祭」のパートには、司式者や奉仕者たちが入堂する時に歌われる「入祭唱(イントロイトゥス)」、「あわれみの賛歌」と呼ばれる「キリエ」、「栄光の賛歌」である「グロリア」などがあります。
また、「ことばの典礼」の中には固有式文である「アレルヤ唱」、あるいは「詠唱(トラクトゥス)」、「感謝の典礼」の中には「感謝の賛歌(サンクトゥス)」と「信仰宣言」の「クレド」、「交わりの儀」には「平和の賛歌(アニュス・デイ)」がありました。
『レクイエム』とは安息という意味で、イントロイトゥスの冒頭の歌詞「レクイエム・エテルナ・ドナ・エイス・ドミネ(主よ、永遠の安息を彼らに与えたまえ)」という言葉に由来しています。
死者のためのミサ曲であり、死者が天国に迎えられるように神に祈る典礼で11月2日の「死者の日」の他、葬儀や命日に執り行われました。
教会の中で発展していった音楽は、やがてクラシック音楽の一つの大きな起源となっていきます。