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東ローマ帝国の滅亡~オスマン帝国

東西の分裂から1000年以上に渡り存続してきた東ローマ帝国は、1453年ついに滅亡します。

 

一時期は地中海も含む領土を治めていた東ローマ帝国ですが、8世紀以降はバルカン半島やアナトリア半島を中心とした国家になっていました。別名は「ビザンツ(ビザンチン)帝国」。

 

周囲のイスラム教徒からは、「ローマ人の国」「ローマ帝国」、当時の西ヨーロッパでは「ギリシア帝国」と呼ばれていました。

 

東ローマ帝国の首都であったコンスタンティノープルを陥落させたのは、13世紀の終りに小アジアの西北部に建国されたオスマン帝国で14世紀にはバルカン半島を征服していました。

 

東ローマ帝国を滅亡させた後、16世紀にはハンガリーまでその勢力を伸ばし、1529年には神聖ローマ帝国の首都ウィーンまで包囲しています。

 

オスマン帝国の歴史は20世紀まで続き、第一次世界大戦が終わった後の1922年まで続いています。

14世紀後半に創設された「イェニチェリ」は、オスマン帝国の歩兵の精鋭軍団。彼らは遠征に出かける際、必ず「メヘテルハーネ(メフテルハーネ)」と呼ばれる独特の音楽隊を伴っていました。

 

西アジアの古代から受け継がれていた音楽と、中央アジアを中心とする地域に暮らしていたテュルク民族の太鼓による軍楽がミックスされたメヘテルハーネの音楽は、歩兵たちの士気を高め、相手を威嚇すると同時にスルタン(君主・権力者)の威光の証として、祭礼や様々な儀式、運動競技などでも演奏されました。

 

ズルナというダブル・リードの笛をはじめとする管楽器や、様々な太鼓類、シンバルのように金属でできた楽器などで構成される楽団で、大きな祭典では60人にものぼる大合奏団となりました。

 

東洋的な独特の音の響きと軍楽隊の制服は、ヨーロッパの宮廷の人々たちを魅了し、そのスタイルは18世紀初頭、各国の軍楽隊にも取り入れられていきました。

 

モーツァルトやベートーヴェンが創った≪トルコ行進曲≫も、このオスマン帝国のメヘテルハーネの音楽に影響を受けたものでした。

 

 

 

民族固有の言葉による文字

 

イタリアの都市フィレンツェに生まれたダンテ・アリギエーリが、「神曲」の執筆を始めたのは1307年頃と言われています。

 

「地獄篇」、煉獄篇」、「天国篇」の三篇からなる壮大な長編叙事詩は、当時の教会で一般的に使われていた「ラテン語」ではなく、ダンテが生まれたトスカーナの方言で書かれていました。

 

また、ダンテと同じフィレンツェで生まれたとされるジョバンニ・ボッカチオの書いた「デカメロン」は、「十日物語」の意味でダンテの「神曲」に対して「人曲」と呼ばれることがあります。

 

この物語は、1348年に大流行したペストから逃れるために邸宅にこもった3人の男性と7人の女性の10人が登場し、一人ひとりが10話ずつの物語を語っていくという形がとられていました。

 

イタリア散文芸術の始まりとも言われる「デカメロン」が書かれたのは1349年から1351年頃のことで、この作品はイギリスのジェフリー・チョーサーにも大きな影響を与えていきます。

 

チョーサーが著した「カンタベリー物語」は、カンタベリー大聖堂の巡礼に向かう様々な職業を持つ人々たちが語る説話集となっています。

 

この本は、教会の使うラテン語やイングランドを支配していたノルマン人貴族たちが使うフランス語でもなく、「中英語」という当時の人々が使う言葉で綴られていました。

  







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