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弦楽四重奏曲第17番 へ長調 Op.3-5 第2楽章 「セレナーデ」

 

 

 

ハイドンの名によって多くの人に親しまれるようになった愛らしい作品

 

『弦楽四重奏曲第17番』は、ハイドンの作曲とされてきた弦楽四重奏曲で、第2楽章「アンダンテ・カンタービレ」は「ハイドンのセレナーデ」として長年親しまれてきました。

 

後の研究の結果、実際の作曲者はオーストリアの修道士、ローマン・ホフシュテッター(ホーフシュテッター)であることが明らかとなっています。

 

これが明らかになったのは1964年のことで、モーツァルトの研究でも名高いH.C.ロビンズ・ランドンらによってそう結論付けられました。

 

ロマン・ホフシュテッター(1742-1815)は、ドイツのバートメルゲントハイム近郊で双子の兄弟として生まれ、1763年(21歳)にアルモルバッハ(現在バイエルン)のベネディクト会の大修道院の修道士となり、1766年(24歳)には司祭となり、その後院長として1803年(61歳)修道会が解体するまでこの場所に留まりました。

 

ホフシュテッターはアマチュアの作曲家でもあり、ハイドンの信奉者でハイドンの音楽様式に倣って自らも作曲を行っていました。ホフシュテッターの双子の兄弟であるヨーハン・ウルバン・アーロイスも、役人でありながら作曲家であり、7つの交響曲等の作品を書いています。

 

ハイドンをとても敬愛していたホフシュテッターは、ハイドンに習って弦楽四重奏曲を趣味として書き上げました。しかしこれがあまりにも優れていたので、フランスの楽譜出版社が「ハイドンの名にしたほうが売れる」ということで、出版社が二人の知らないところで「ハイドン作」と銘打って出版してしまったのです。

 

『ハイドンのセレナーデ』がパリで出版された1777年、ホフシュテッターは35歳の年で、「ハイドン作」という名目で出版されたため楽譜はよく売れました。

 

H.C.ロビンズ・ランドンが真相を発表するまでの長い年月、この曲はハイドン作によるものだということを誰も信じて疑わなかったので、本当にハイドンが作曲したほどに素晴らしかったということになります。

 

アマチュアの作曲家の作品としてはもの凄いことで、当のホフシュテッターは自分の作曲したこの曲が、まさかそのような展開になっていたなどとは全く知らなかったというのですから驚きです。

 

自分の憧れのハイドンの名前が、自作の曲につけられて後世に残ったこと、埋もれるはずだった作品がハイドンの名によって多くの人に親しまれるようになった事実に、ホフシュテッター自身が親しみのある人間性を持たれた方だったことが想像できます。

 

尚、ハイドンはセレナーデというジャンルの作品は創作しておらず、また『6つの弦楽四重奏曲』(作品3)は、長らくハイドンの作品と見なされていましたが、第13番から第18番まですべてホフシュテッター作曲と判明しました。

 

 

 
  







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