ピアノソナタ第8番 ハ短調 Op.13「悲愴」 第2楽章【ベートーヴェン】~音楽作品 名曲と代表曲
あまりに美しい第2楽章をもつピアノソナタの名品
緩やかで祈りの気分を持った第1部と第2部変イ短調の暗い緊張との対比が見事である。
映画「不滅の恋」の中でベートーヴェン自身がすでにほとんど聴こえなかった耳をピアノに押しあて、静かに奏でるシーンが印象的だったこの曲は「月光」「熱情」と共に彼の“3大ピアノソナタ”とも呼ばれる初期の傑作です。
第2楽章の主題は後に「第9」の第3楽章にほぼ同じイメージで転用されたり、また未完の「第10番」においても似た旋律が使われるはずだったという研究もあり、いかにベートーヴェン自身が気に入っていたメロディーであるかがうかがえます。
そのためか歌詞をつけて歌われるなどアレンジ曲も多く(ビリージョエル、大竹しのぶ etc.)彼の作品中もっとも愛される旋律のひとつといえるかもしれません。
ベートーヴェンのソナタは、言ってみればピアノ的表現を究めたというよりは、交響曲の縮図的な様相を示しているといっても不当ではない。
とはいえ、彼の作品はピアノの表出力のある一面を究めたものであることも間違いなく、特に晩年のソナタにはピアノ以外の楽器では表現不可能な独特の世界を築き上げているのである。
一般的に彼のソナタは作曲年代に従って初期、中期、後期と区分される。初期のソナタは30歳頃までの作品で、ベートーヴェンとしては比較的に個性的性格の表出が少なく、ハイドンやモーツァルトにも通ずる様式をもっていて、一般には作品22までを指している。中期には作品26から作品90までのソナタが含まれる。
形式的にも内容的にも、どれひとつとして同じパターンを示さないが、人間的な喜怒哀楽の感情が激しく表出されている。
後期のソナタは作品101以降の5曲で、人間的感情を超えた天国的世界観といった様相を見せているのである。
奇しくも、この三期は彼の耳の病の進行とほぼ並行している。初期はまだ健康であった青年ベートーヴェンの夢と希望がそれらの作品から感じ取れる。
中期は 耳の最初の徴候が現れた頃から、殆ど聞こえなくなる頃までと重なる。そして後期はもはや耳がすっかり聞こえなくなってからだ。
耳の病によるベートーヴェンの苦しみと奮起、そしてあきらめの境地に入った悟りが、それぞれの作品に反映しているようで興味深い。
ソナタ作品13「悲愴」は、いわゆる初期のソナタに入るわけだが、様式的には既に中期ソナタの先駆的な面を見せている。
ベートーヴェンにとっての指標であり、越えなければならなかった存在は、ソナタ形式のような古典的な様式を確立させた、ハイドンやモーツァルトでした。
ピアノの名手としてウィーンで名を上げ、いよいよ作曲も本格的になったのは、およそ1800年前後、ベートーヴェンが30代に差しかかった頃のことです。
なんとか先人たちを乗り越えようというベートーヴェンの試みは、この時期に作曲されたピアノソナタにも、はっきりと表れています。
例えば1798年から翌年にかけて作曲の第8番「悲愴」では、第1楽章のソナタ形式に序奏がつき、この楽想がその後にも応用されています。
また、1801年に作曲された第14番「月光」では、第1楽章がアダージョで、第3楽章に初めてソナタ形式が置かれています。いずれのソナタでも当時としては、斬新な手法が採られています。
そしてこれらの試みに、すでにロマン派の兆候が見えています。ベートーヴェンはひと括りに古典派とされることの多い作曲家ですが、実際には古典派とロマン派の中間に置かれるべき存在で、様々な革新的試みを成しながら、両者の橋渡しをしたとも言えます。
30歳前後と言えば、ベートーヴェンの主軸である交響曲の第1番が作曲され、同じく主要なジャンルである弦楽四重奏曲も、ものにしつつあった時期です。
そして有名なハイリゲンシュタットの遺書が書かれたのは32歳の頃ですから、いかにこの数年が彼の内面の変化の上で、大事だったかがうかがえます。
「悲愴」は「運命」や「コリオラン序曲」と同じハ短調です。ベートーヴェンは内的闘争を描く時にこの調を用いていますが、そのどれもが彼の作品の中では特に重要な意味を持っています。
難聴の兆候が表れ始めた1798年に着手されたハ短調の悲愴ソナタ。ベートーヴェンは襲い来る試練を意識しつつ、筆を進めていたかもしれません。第1楽章にはそれを思わせる重厚な響きがあり、強い意志力が感じられます。