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エチュード 第13番 変イ長調 Op.25-1 「エオリアンハープ」

 

 

 

分散和音に乗って浮かび上がるメロディが印象的な作品

 

12の練習曲作品25は1832年から1836年にかけて作曲されたとされ、感情表出度の強いOp.10の練習曲集に比べると、このシリーズではさらに純粋な音そのものの美を追求しているようで、Op.25はさらなる洗練度の高い作品となっています。

 

初版はパリのシュレジンガー、ライプツィヒのブライトコプフ・ウント・ヘルテル、ロンドンのヴェッセルから1837年に刊行され、マリー・ダグー伯爵夫人に献呈されています。

 

練習曲Op.25-1は、1836年に作曲された楽曲で「エオリアン・ハープ」として知られ、「牧童」や「牧童の笛」と呼ばれることもあり、分散和音に乗って浮かび上がってくるメロディが印象的な楽曲です。

 

楽曲全体を通じて奏でられる分散和音の音色が、自然に吹く風によって音を出す弦楽器の一種であるエオリアン・ハープ(Aeolian Harp)を連想させることから、シューマンが「エオリアン・ハープ」と名付けました。

 

シューマンは「デリケートな上の音と基礎となるバスの音だけが聞こえ、エオリアンハープを思い起こさせる。この曲はエチュードというよりは詩である。ショパンがアルペジオの16分音符すべてが聞こえるように演奏することを望んだと考えるのは間違いで、As Durの和音のうねりなのである。この曲が終ったとき、我われはもう一度見たいような夢から目覚めた印象を受ける。」と言っています。

 

「牧童」や「牧童の笛」と呼ばれるのは、ショパンはこの曲に関して弟子に「牧童が、近づいてくる暴風雨を避けて洞窟に避難している。遠くで風や雨が吹きずさんでいるが、牧童は静かに笛を取って美しい旋律を吹いている。そういうところを思い浮かべてみなさい。」と言ったことに基づきます。

 

ショパンが憧れていた街ウィーンに初めて訪れたのが19歳の時で、その時に行われた2度の演奏会は大成功し、若き才能溢れる演奏家を聴衆たちは皆温かく迎えてくれました。

 

しかし、ショパンがワルシャワを離れる覚悟をして、満を持して旅立ち再び訪れたウィーンでは、当時の熱狂が嘘のように静まり返り、彼に対して冷ややかでした。

 

演奏会は殆ど開催できず経済的にも苦しかったショパンは、1831年7月にウィーンでの成功を諦めてパリに向かいます。

 

パリでの生活も最初の2年間は不遇が続きましたが、地道な努力によってやがて演奏家としてピアノ教師として、サロンの女性たちを中心に支持を集めていきました。

 

この境遇の時代に書かれたのが、ピアノのエクササイズとして作曲したOp.10の12曲の作品集で、さらに12曲が追加されOp.25の練習曲集として出版されました。

 

練習曲には収まらない情緒や芸術性を備えていることで、練習曲集はレッスン用のみならず、サロンでの演目にも用いられました。

 

この曲で例えられたエオリアンハープとは、自然の風で鳴る琴のような形の弦楽器で、17世紀から19世紀のヨーロッパで流行しました。

 

エオリアンハープ

 

 

 

 
  







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