交響曲第4番 ホ短調 Op.98 第1楽章
ブラームスの素の心が表されている魅力が凝縮された作品
『交響曲第4番』は、「第3番」が完成した翌年の1884年から1885年にかけて作曲され、ブラームスの最後の交響曲となりました。
弧影をいっそう濃くしたブラームスの声が「第4番」では聴かれ、「第3番」のドイツ的力の充溢はここでは後退し、徹底的な内面の苦悩が響き出されている作品と言えます。
1884年、ブラームス(51歳)はウィーン南西にあるミュルツツーシュラークで夏を過ごし、そこで「交響曲第4番」の作曲に取り掛かりました。
ブラームスは夏の間に作曲するのを習慣にしており、この年には前半の2楽章を完成させ、翌1885年に残りの2楽章を完成させていて、「第4番」はふた夏かけて作曲されました。
オーストリアのミュルツツーシュラーク
初演は1885年10月25日ブラームス自身の指揮のもと、マイニンゲン宮廷管弦楽団によって行われました。
初演では各楽章ごとに拍手喝采が起こり、第3楽章はその場で直ちにアンコールされ、全曲終了後はマイニンゲン公ゲオルク2世の要望に応じて、第1楽章と第3楽章を再演奏されたと言います。
翌週にはハンス・フォン・ビューローの指揮でも演奏され、またブラームスは11月からマイニンゲン宮廷管弦楽団の演奏旅行で、ドイツとオランダの各都市を回って演奏を行いました。
第1楽章の曲頭で提示される第1主題は、三度の動きを基にしたものですが、三度下降のモティーフはブラームスの他の作品にも見出されています。
ブラームスの悲しみの三度ですが、この第1主題は「四つの厳粛な歌」の第3曲、「おお死よ、いかばかり苦しきかな、汝は」の主題と重なるものです。
第2主題は管楽器によって提示され、三連音符とスタッカートを組み合わせたものであると言えますが、明確な形では第2主題は存在せず、第1主題の三度下降を発展・変化させたモティーフが、次々と並べられていく形をとっています。