交響曲第4番 ホ短調 Op.98 第4楽章
ありのままの自分を見せ内面をさらけ出した最後の交響曲
ブラームスはハンブルグの生まれで、子供の頃からプロテスタントの教育を受けて育ちました。ブラームスの生涯を飾る幾つかの作品でその影響が表れていて、「ドイツ語によるレクイエム」ではこうした面がよく表れています。
晩年には「四つの厳粛な歌」やオルガン用の「コラール前奏曲」など、プロテスタント的考えに深く根差した作品を書いています。
ブラームスのこのような作品を見てみると、人間の罪と神による慰めが中心に置かれていて、ブラームスが存在の苦悩に侵されていたことが垣間見られます。
ブルックナーの交響曲がカトリック世界における神との対話をその基底に置いているのと同様に、ブラームスの幾つかの作品は、プロテスタント的罪の意識に支えられて成立していると言えます。
この「第4番」も教会音楽ではありませんが、主題の関連性などからして、宗教的色彩を濃くした作品として捉えられることもできます。
ブラームスもまた、ルター的隠れたる神を探し求めた人間であり、打ち砕かれていた人間であったと言えるでしょう。
生涯独身を通し家庭を持たなかったブラームスは、晩年になり親しい友人たちとの別れや死別が続き、実直な人柄であるが故に多くの孤独を味わっていました。
最後の交響曲第4番には、そんなブラームスの人生に対する諦観が色濃く打ち出されていて、彼の奥底の心情が吐露されているかのようです。
ブラームスを擁護していたハンスリックは、ウィーン初演後の批評で、「その魅力は万人向きではない」と一定留保しつつもその独創性を称えています。
第4楽章については「フィナーレは、暗い泉のようなものだ。長く見入れば見入るほど、星の光は明るく輝き映える」と評価しています。