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東大寺の大仏を開眼供養する

 

国際都市である平城京が栄える8世紀中頃の天平時代に、東大寺大仏開眼供養法要が、天平勝宝4年(752年)4月9日に類を見ない大規模な形で執り行われました。聖武天皇が大仏建立を祈願して9年目のことであり、仏教音楽・伎楽・日本の歌舞・アジア各地の楽舞が上演され、汎アジア芸能を総動員とする出来事でありました。

 

その演目の詳細は『続日本紀(しょくにほんぎ)』『東大寺要録』などに記録されていて、1980年10月には大仏殿昭和大修理落慶法要が行われ、天平時代の法要を模倣した当時のイメージを彷彿とさせる形式で執り行われました。

 

菩提僊那(ぼだいせんな)というインドの僧が開眼の作法を勤め、五色の幕、幡(ばん)・縷(る)・宝珠(ほうじゅ)などの極彩色のなかで聖武太上天皇、光明皇太后、考謙天皇が臨席します。文武百官が礼服姿で参列し、南門からは1,000人余りの僧が参入してきます。

 

参列者一同が加わり、信仰の対象となる巨大な金銅の彫刻に、開眼師が開眼筆を大仏の顔に向けて空中で眼をなぞっていきます。

 

開眼作法の後は、法要での基本曲目とされている唄(ばい)・散華(さんげ)・梵音(ぼんのん)・錫杖(しゃくじょう)という声明を唱え、講師(こうじ)と読師(とくじ)が東西の高座で『華厳経(けごんきょう)』の講説を始めます。

 

高座とは講談や落語の高座の語源とされ、屋根と階段のついた半畳ほどの高い台のことです。その後はさらに9,800人ほどの僧が参入し、万僧供養(まんぞうくよう)の規格を実現します。

 

1980年の大法要では、五色の縷で大屋根の上の鴟尾(しび)の覆いを取り払うなどの演出があり、長きに渡り途絶えていた伎楽が再起されるなど、天平時の華やかさを現代に蘇らせる様々な試みが執り行われました。

 

天平時代の大法要では、楽人舞人が次々と入場し、歌と舞で30人という規模の国風歌舞の五節舞の原型と思われる大歌と舞、40人が演じたという戦勝を祝う武人の舞として四人舞の久米舞が伝承されている国風歌舞の久米舞、内容は不明ですが久米舞と相対する国風の武人の舞と推測される楯伏舞(たてふしのまい)などの日本古来の歌舞が演じられました。

 

また、女漢躍(おんなあやおどり)・跳子・唐古楽・唐散楽・林邑楽・高麗楽・唐中楽・唐女舞・高麗女楽などの外来の楽舞が演じられ、大芸能の集会の様相を呈しています。

 

記録によると、汎アジア(日本・中国・朝鮮が中心)の楽舞が、各演目それぞれ数十人から百人を越える出演者によって演じられ、参列者が一万人を優に超えるという盛大な行事となりました。1980年の法要でも数日間に及び様々な芸能が奉納されました。

 

 

正倉院に保存される楽器

 

756年の聖武上皇崩御を境に楽器の献納がはじまり、光明皇太后が遺愛の品を東大寺に献じ、それらの遺品はその後に正倉院に収蔵されました。大正・昭和の楽器調査で、18種類75点程の楽器の現存が正倉院で確認されています。

 

日本に流入したと言われる30種類ぐらいの楽器のうちの名品が、正倉院に保存されてきたと推測され、唐の音楽資料によれば、当時は50種類に及ぶ楽器の使用の形跡があったと言われています。

 

雅楽が日本に定着するまでの過程で途絶えてしまった楽器で、正倉院にしかない楽器も多くあります。現行の雅楽と共通する日本の雅楽器では、和琴琵琶(4弦)の弦楽器があります。

 

管楽器では総じて同様の横笛があり、横笛は素材が多種多様で、笙は吹き口の長さが現行のものと大きく異なると言った点があります。笙は日本で唐楽の音色を象徴とする楽器となり、また現行の笙の1オクターヴ低い音を奏でる竿(う)という現代に復元された楽器もあります。

 

打楽器では胴のくびれた磁器製の鼓胴があり、現行のものと類似の雅楽器ですが、現行(木製)のものと素材が大きく異なります。

 

正倉院に保存される楽器は、伝承が途絶えてしまったものとなりますが、美術工芸品として評価されているものが多くあります。弦楽器では、螺鈿(らでん)を施した五弦琵琶、琵琶の仲間である阮咸(げんかん)があり、コトの仲間で筝とは異なり柱(じ)がない(きん)も華麗な装飾が施された逸品が保存されています。

 

その他の弦楽器では、西域から中国を経て伝来したハープに似た楽器で、損傷は著しいですが箜篌(くご)という百済琴(くだらごと)の残欠があります。

 

また、一部分のみですがコトの仲間で柱があり25弦タイプの(しつ)、12弦コトの新羅琴、楽器名が不詳の7弦楽器などがあります。

 

管楽器では竿の他に、近世の尺八とは別物の尺八、パンパイプの(しょう)があります。打楽器では方響(ほうきょう)という楽器があり、鉄片群を枠に吊るして打ち鳴らすものです。

 

8世紀当時には正倉院に現存するもの以外の楽器が多く存在し、これらすべてを含めた楽器群の中から楽器が選択され、日本の雅楽の楽器編成が定まっていきました。なお、正倉院には<天平琵琶譜>と称される、天平19年〔747年〕の日付が記された琵琶の譜が存在します。

  







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