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歌舞伎の発展と義太夫節

1650~1850年ー江戸文化の燗熟

 

歌舞伎の展開

 

3代将軍家光の歿後、歌舞伎の世界では女歌舞伎、若衆歌舞伎の禁止によって、歌舞伎興行者たちは歌舞伎の内容を根本的に変革せざるを得なくなった。演劇的に内容をより充実させ、舞台芸能としての存在を補強しなければならなかったのである。この時代の大きな変化のひとつに、男性による女性の姿形や心の動きの表現、つまり女方の芸の登場がある。

 

1629年江戸幕府が女性の舞台登場を禁止したことが、事実上の女方の始まりである。歌舞伎史上有名な女方には、芳沢あやめ、瀬川菊之丞らがいたが、現代の歌舞伎界では、ひとりで立役(男役の総称)も女方も両方を演じる役者が多くなった。

 

元禄時代(1688~1703)に入ると、関西と関東それぞれの歌舞伎の独自性も生まれ、和事、荒事の様式が確立し、和事では坂田藤十郎、荒事では市川團十郎が登場した。また演劇内容の複雑化に伴って役柄も様式化され、舞台演出の必要性から、さまざまな楽器が導入されるとともに、舞台機構も変革されていった。

 

初期の歌舞伎音楽は歌謡中心で、芝居歌にはほとんど上方のものが歌われていたが、この上方歌のなかからその後の長唄が生まれてきた。文献上に長唄の名前が初めてみられるのは、次の宝永元年(1704)のことで、明和年間(1764~72)以降、長唄は江戸の歌舞伎のなかで育ち発展した。

 

また、演劇としての充実を図るための方策として、歌舞伎でも人形浄瑠璃の義太夫節を取り入れ、人形部分を人が演じる義太夫狂言を始めた。なかでも正徳5年(1715)人形浄瑠璃で上演された《国性(姓)爺合戦》を取り入れて大成功をおさめてから、義太夫狂言は歌舞伎の重要な演目となり、享保末から元文・寛保にかけて(1730年代末~1740年代)本格的な義太夫狂言の成立をみたのである。

 

当時は8代将軍吉宗の享保の改革の時代で、元禄時代の華美な遊芸に対する反動の時代でもあった。演劇内容の充実は、舞台作りにも反映し、歌舞伎独自の<花道>もこのころから使われている。

 

歌舞伎の御簾内でさまざまな雑楽器を使用するのは、「文化・文政期(1804~29)以後、写実的な内容の歌舞伎<生世話もの>が生まれ、歌舞伎囃子が複雑化・写実化したためであった。並木正三が<回り舞台>を考案したのもこの時期である。日本人が江戸時代に考案したこの回り舞台は、世界の舞台機構に影響を与え、その後オペラ演出にも使われるようになる。

 

またその後、幕末から明治時代のより写実的な新しい歌舞伎(生世話狂言)の登場と並行して演目の種類も増え、現在にいたっている。大太鼓をさまざまな桴て打つ自然描写の方法を初めとする現代の歌舞伎の黒御簾音楽の大部分は、江戸時代末の天保の改革の後に完成されていることからも、現代の私たちが歌舞伎音楽として聞いているもののほとんどが江戸時代末以降に作られたり、様式化された音楽であるといってよい。

義太夫節

 

義太夫節は関西で育った声の音楽であるが、現在演奏されているこの音楽の特徴には次のようなものがある。

 

まず、情景描写と会話などで構成された文章を台本として、そのすべての文章を語り役の太夫ひとりと伴奏的な役割の三味線ひとりとで演奏して進行すること。

 

語りには、登場人物の台詞を語り分ける部分(詞)と、歌のように演奏する部分(フシ)、そしてレチタティーヴォのような言葉の抑揚を強調した感じで語っていく部分(地)とがある。これらの3種の組み合わせで音楽が作られるのであるが、ほかの三味線伴奏の歌との違いは、太夫が顔の各部分を最大限に動かして感情表現を誇張し、ダイナミックな語り方をする点である。三味線は、ほかの浄瑠璃に比べて音量が大きく音域も低い。駒には鉛の玉が打ち込まれ、重々しい音色を作り出している。
道中の有様を描いた《道行》や、舞踊を中心とした作品《景事》と呼ばれる演目の場合の演奏人数は、大勢の太夫と三味線が一列に並んで演奏する。しかし、義太夫節は初めのころからこのような形式の音楽だったわけではない。最初は三味線ももっと小さく、演奏技法も簡単だった。人形もひとりり遣いで今より小さい形であった。

 

おそらく舞台が大きくなるにつれ、三味線も大型化し、人形も機構が複雑化したのであろう。ひとり遣いが3人遣い(頭と右手、左手、足を3人がそれぞれ受け持つ)になったのは1734年。義太夫はその20年前にすでに没している。また人形の目を動かしたり手を動かしたりというさまざまな技術が付加されることがその後に続き、舞台大道具の工夫も行われるようになった。

 

義太夫を語る太夫には、竹本姓と豊竹姓があり名前の最後には<織大夫>のように点の入らない<大夫>がつく 。 また、三味線には豊澤・鶴澤・竹澤・野澤の4 姓がある。義太夫節は、登場人物の心理の変化や身分の違い、老若男女の違いを三味線のテンポや音色で弾き分けるとともに、太夫がひとりでさまざまな人物を語り分ける息と声の芸術である。

 

義太夫節の名曲として名高い作品は、政治的題材を扱った<時代物>に《仮名手本忠臣蔵》《義経千本桜》《菅原伝授手習鑑》など、町人世界の恋愛を扱った<世話物>に、《冥途の飛脚》、《心中天網島》、《桂川連理柵》、《曽根崎心中》などがある。

 

義太夫節による人形浄瑠璃の大当たりは、人気の低迷していた享保時代の歌舞伎に取り入れられ、歌舞伎音楽の新たな展開を導いた。歌舞伎では現在、義太夫を取り入れた歌舞伎を<本行>とか<丸本もの><義太夫狂言>と呼んでいるが、人形浄瑠璃の演目のほとんどが歌舞伎に取り入れられている。

  




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