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教育や世界においての日本音楽

◆教育における日本音楽

 

昭和30年代から急速に勢いを増した学校教育での西洋音楽教育や、一般家庭での洋楽教育の大きな広がりは、残念ながら日本音楽の居場所をきわめて限られたものへと追いやっていった。

 

昭和33年に始まるリコーダー教育は、ドレミの出にくい横笛を遠ざけたばかりでなく、日本の楽器の音色を音楽の範疇から遠ざける原因にもなった。合唱コンクールや器楽コンクールの隆盛によって、日本の伝統的な声の文化にも異変が起こり、民謡の声は美しい声の基準からはずれ、楽器の意味する範囲も、洋楽の楽器中心となっていった。

 

このような洋楽に焦点を当てた音楽教育に対して昭和30年代、日本人の音の文化を再考するべきと考えた民族音楽学者小泉文夫は、子供たちが日常のなかで遊びながら歌うくわらべうた〉に注目し、わらべうたを用いた音楽教育を提唱し、一時教育界でブームを引き起こした。彼の、昭和34年の著書 「日本伝統音楽の研究I』の書名により、く伝統音楽〉という言葉も一般化することになる。しかしながら、わらべうたによる音楽教育は、わらべうたから邦楽という展開をみないまま挫折してしまった。
音楽授業においても、鑑賞中心だった日本音楽を、もっと身近なところへ近づけようとする動きが強まり、楽器の旋律をく唱歌〉で歌ったり、代替楽器を用いて演奏して理解する表現教材として扱う方法へと変わってきた。

◆ワールド・ミュジックのなかの日本音楽

 

学校の外では、1970年代後半に始まったエスニック・ブームが日本音楽の再認識へとつながり、若者たちの間で思い思いの日本音楽へのアプローチが行われ始めた。

 

近年の傾向としては、伝統音楽の世界に生まれた演奏家が自らの世界を広げることを目的に行われる場合と、外の世界の演奏家が、楽器や声を自由な方法で取 り入れる場合とがある。前者の例としては、三線と太鼓を中心とする楽器編成の沖縄音楽のグループや、箏や尺八の演奏家がシンセサイザーを取り入れるような例、また、民謡の歌い手がロックのリズムとともに追分を歌うなどの例がある。

 

また後者の例には、ロックの演奏家が太鼓や笛をバンドに取り入れたり、平家物語や義太夫の文章をギターやドラムとともに歌い上げたりといった、さまざまな活動がある。

 

これまで続いてきた中央集権的な文化の見直しが叫ばれる1990年代には、日本各地の村起こしや町起こしに日本音楽が使われる例も多くなり、さまざまな土地で〇〇太鼓グループが発足し、各地の祭りが近年活気を呈してきた。

 

また伝統音楽や伝統楽器を直接用いた音楽作りとは別の観点で、日本の音を再評価しようという動きも起こっている。それは、自然音と共生してきた日本人の音に対する感性を再び見直そうとする動きである。これらのさまざまな動きは、ただひたすら欧米の文化を摂取することに邁進してきた結果、自らのよって立つ所を失ってきたことへの疑問による一種のバランス感覚てあろう。

 

伝統と呼ばれる音楽の内容は、決してある型に固定されるだけのものではなく、常にその時代の要求によって変容しつつ動いてきたものである。したがって、これまでさまざまなジャンルに分かれて来た伝統音楽の世界が、現代においてまったく過去のものになってしまったかというと、そうではなく、実は演歌やポップス歌手の歌い方のなかにも浄瑠璃の様式を聞くこともできるし、映画音楽の扱いのなかに歌舞伎音楽と共通の音楽様式をみることがてきる。

 

ロックギターの演奏法のなかに三味線との共通点を聞くこともできるのである。社会の変化によって、目にみえる部分、つまり、衣装や楽器の形態が表面的に変化していても、歌い方や音の出し方など、本質にあるものが変わらなければ伝統は連続していると考えられるのである。

 

日本の伝統音楽は決して過去だけのものではなく、常に連続して生まれているものである。そして日本の楽器や声に対するさまざまな試みの共存のなかから、新たな伝統、く日本的なもの〉が再び生まれてくる。歴史を鳥瞰すると、そのことがよくみえるように思う。

  




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