プラトン
紀元前4世紀に入るとアテネの町を中心に優れた思想家が輩出し、その一人であるプラトンは最盛期に活躍し西洋の哲学の源流だと言われ、師はソクラテスで弟子がアリストテレスといわれています。
ピュタゴラス派の思想から宇宙論的視点を受け継ぎ、「国家」の第10巻や「ティマイオス」の中に見出すことができます。
プラトンにとっても天体のハルモニアは宇宙の構造、天体の運行を基礎づけるもので、さらにプラトンは天体に魂を与えて全体を一つの生き物のように考え、魂の調和という意味を加えています。
人間の魂の調和の思想について、身体と魂の調和の問題として深く考察され、ダモン(前5世紀)のエートス論(性格論)の影響を受けて、音楽と人間の魂との結びつきを教育や社会の問題にまで広げて論じられました。
特に「国家」の第3巻でプラトンは、「正しい人間」つまり物事を正しく判断しその状況に応じてしかるべく行動をとれる人間を生み出すことを論じており、それには体育と音楽という2つの公教育を施すことであるとしました。
体育は身体の訓練のため、音楽は魂・精神の訓練のために必要だったのです。数学的素養と共に音楽や体育も、18歳までの成長期の人間にとってとても大切なものだと考えていました。
プラトンは紀元前387年にアテナイ郊外のアカデモスに、「アカデメイア」という教育機関を創設しました。アカデメイアとは、アカデモスの聖林に由来する言葉で「快楽」を意味しています。
幾何学や算術、天文学などの基礎を学んだ上で哲学を伝授したプラトンは、国家を統治するのにふさわしい知識と品性を備えた理想的な人物を輩出していきたいと考えていました。
ルネサンス以降のヨーロッパで高度な研究機関や教育機関を「アカデミー」「アカデミカ」と名付けるのは、プラトンが創設したアカデメイアに由来しています。
ムーシケーと呼んでいたプラトンの語る音楽には、楽器の演奏や歌唱の他、現在の詩歌の創作や修辞学など、詩や文字の分野も含まれていました。
この精神は高弟アリストテレスたちによってより体系化され、やがて中世の教会や大学の教育の基盤となっていきます。
<プラトン>
『アカデメイアを描いたモザイク画』