古代ローマ~キリスト教と賛美歌
~ギリシアからローマへ~
紀元前1000年頃、イタリア半島に南下してきたラテン人が建てたとされている都市国家ローマ。紀元前509年から共和政が採られ、ローマはイタリア半島統一を果たしていたといわれています。
すでにギリシアは勢力が衰え始めており、ローマは次に地中海の覇権を握ろうと乗り出したとされ、そして紀元前264年に制海権を争い北アフリカのカルタゴとの第1次ポエニ戦争が始まり、第3次まで続いたポエニ戦争の終結は紀元前146年まで及びカルタゴが滅ぼされました。
同時にローマはギリシアからマケドニアも奪い、地中海全域を支配するようになりました。その後ローマは市民や奴隷の不満から内乱状態に陥りますが、そこに現われたのが英雄ユリウス・カサエルでガリアからブリタニアまでローマの勢力を拡大します。
紀元前27年、古代エジプトを滅亡させたカサエルの養子オクタヴァイアヌスは、アウグストゥス帝としてローマ帝国初代の皇帝に就任しローマ帝政時代が始まります。
キリスト教と賛美歌
ローマ皇帝は基本的に世襲制であり、それが災いし多くの暴君が現れることになります。中でも有名なのが16歳で即位したネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクスです。
紀元前64年7月に起こった「ローマの大火」と呼ばれる火事は、街の全域を焼き尽くしました。
ネロ自身が火を付ける命令をしたのではという市民からの話が流れ、この噂を晴らすためにネロが放火犯として捕まえて処刑したのはキリスト教徒でした。
ネロによるこの行為は、キリスト教徒弾圧の初めての大きな事件と言われています。やがて、軍人皇帝時代を経て弱体化していたローマ帝国では、303年ディオクレティアヌス帝によるキリスト教徒大迫害が勃発します。
一神教を説き皇帝や偶像の崇拝を禁じたキリスト教は、ローマ帝国の皇帝にとってとても危険な存在だったのです。しかし、ローマや帝国領土内でのキリスト教は広まりを続け、3世紀頃には既に上層階級まで広まっていました。
パウロの新約聖書「コリント人への第一の手紙」の第14章第26節に記されているように、信徒たちが一緒に集まった時に各自が行うとよいと言う事の一つに「賛美を歌い」を挙げています。
ユダヤ教の神殿で行われていた神に捧げる賛歌は、キリスト教化される西洋社会の中で、民族や場所それぞれの言葉にあうように少しずつ形を変え発展していったのです。
<ローマの火災を見つめるネロ>