大序曲 《1812年》 Op.49【チャイコフスキー】~音楽作品 名曲と代表曲
フランス軍とロシア軍の攻防を描いた序曲
序曲『1812年』Op.49は1880年に作曲された演奏会用序曲で、タイトルの「1812年」はナポレオンのロシア遠征が行われた年で、歴史的事件を通俗的に描くという内容の明確さによって、人々に大いに喜ばれる作品となりました。
大序曲『1812年』、荘厳序曲『1812年』、祝典序曲『1812年』などと呼ばれることもあります。この作品は、チャイコフスキー自身強い思い入れがあって書き上げた作品ではないことが語られています。
この時期のメック夫人(パトロン)やアナトリー(弟)への手紙でも、「序曲はおそらく騒々しいものになる。私は特に愛情を持って書いたつもりはない」と綴られ、ユルゲンソーン社主ピョートル・ユルゲンソーンに対しても、「この作品が良いものになるか悪いものになるか、私はためらうことなく後者だと言える」と書き記されています。
チャイコフスキーは、「自分自身が感動しないであろう作品に手を付けることはできない」と創作依頼を断っていましたが、友人のニコライから直の頼みを曲げることはできず、作曲を引き受け1ヶ月足らずで書き上げました。
1882年8月、『1812年』はモスクワの産業芸術博覧会で開催されたコンサートで、イッポリト・アリターニの指揮により初演が行われました。
「イタリア奇想曲」と共にプログラムに載ったこの新作は、当時の新聞批評では凡作だと片づけられましたが、1887年3月に行われたサンクトペテルブルクでの再演で、チャイコフスキー自身の指揮による演奏で成功を収めました。
この序曲はフランス国歌のラ・マルセイエーズやロシア国歌の旋律によって、ナポレオン率いるフランス軍と対するロシア軍の激しい攻防が描かれていて、最後部にロシア軍が勝利したことが示されています。
高らかに演奏されるロシア国歌と共に、寺院の鐘が鳴り響き祝砲の大きな轟音が響き渡りますが、大寺院前の広場で行われた初演では、本物の鐘や大砲が用いられ、聴衆はこの演出に熱狂したといいます。