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ドビュッシー:交響詩《海》 1. 海の夜明けから正午まで【ドビュッシー】~音楽作品 名曲と代表曲

 

 

 

ドビュッシーの管弦楽曲の中で最も大規模な作品

 

『海 - 管弦楽のための3つの交響的素描』は、1905年に作曲された全3楽章からなる管弦楽曲で、題名の通り海の情景を表した標題音楽であり、交響詩『海』とも呼ばれます。

 

ドビュッシーの管弦楽曲の中で最も大規模な作品であり、ドビュッシーの最高傑作の一つとしてだけではなく、印象主義音楽を代表する作品であり、近代音楽史上最も重要な作品の一つとして評価されています。

 

いわゆる印象主義の手法は、これ以前の「牧神の午後への前奏曲」や「夜想曲」ほど明確ではなく、ひとつの転機に立つ作品とも言えます。

 

この作品は1903年の夏に着手され1905年3月に完成されました。この間にドビュッシーは妻リリーを捨てて、銀行家の妻であった富裕なエンマ・バルダック夫人と、愛の逃避行をするという事件を引き起こしています。

 

作曲が始められた1903年の夏頃、41歳になるドビュッシーは、ブルゴーニュ地方にある妻リリー・テクシーの実家に滞在していました。

 

9月に作曲家アンドレ・メサジェ宛の手紙に、この作品に取り掛かったことと、この作品が「サンギネールの島々の美しい海」「波の戯れ」「風が海を踊らせる」という副題を持つ3つの楽章から構成されることを伝えています。

 

また同じ手紙の中でドビュッシーは、「自分が今いるブルゴーニュから海は見えないが、でも私には無数の思い出があります。私の考えではそれの方が現実よりましです。」と綴っています。

 

その後、ロンドン近郊のドーバー海峡に面したイエストバーンの海辺に移り住み、1905年3月にこの地で完成させました。

 

尚、実際に書き上げられた作品では、当初の「サンギネールの島々の美しい海」「波の戯れ」「風が海を踊らせる」という副題は外され、次のタイトルが付けられました。

1. 海の夜明けから正午まで【De l’aube à midi sur la mer】
2. 波の戯れ【Jeux de vagues】
3. 風と海の対話【Dialogue du vent et de la mer】

《海》の作曲中はドビュッシーにとって特に辛い時期でもあり、1904年妻リリーを捨て、著名な銀行家の妻であったエンマ・バルダックと駆け落ちをするという事件を引き起こしました。

 

エンマ夫人は声楽を行っていて、フォーレから「優しい歌」を献呈されたほどの女性でしたが、富裕で且つ才能豊かなことに対する世人の反感と、さらにはリリーの自殺未遂騒ぎもあって、この事件はスキャンダルとして世間を賑わしました。

 

友人の多くがドビュッシーを離れ、彼は世間の批判の矢面に立たされ、ドビュッシーは種々な中傷や心無い誹謗にさらされることになり、皮肉にもこの作品は、その後の生涯の伴侶となるエンマとの生活における第一作となりました。

 

《海》の初演は1905年10月、カミーユ・シュヴィヤール指揮のもと、コンセール・ラムルー管弦楽団によって行われました。

 

エンマとのスキャンダルが冷めやらぬなか、オーケストラの団員の出来も芳しくなかったため、聴衆や批評家たちの反応も賛否両論となりました。

 

しかし、3年後の1月に行われた再演では、コロンヌ管弦楽団でドビュッシー自身の指揮によって行われ、この作品の真価が認められました。

 

以後、主要な管弦楽作品として定着すると共に、印象主義音楽また20世紀音楽を代表する傑作として評価が確定する作品となりました。

 

1905年に出版されたスコアの表紙には、葛飾北斎の浮世絵である冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」が採用され、これはドビュッシー本人の希望によるものです。

 

スコア表紙

 

 

当時のパリの東洋趣味を象徴するものとしてよく知られていて、ドビュッシー自身も東洋趣味が表れていて、彼の部屋にはこれと全く同じ絵が飾られていました。

 

刻々と変容する海の様々な表情の移ろいが、ドビュッシー独特の鋭敏で色彩的な感覚で、見事に音に移されているのです。

 

 

 
  





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