パヴァーヌ Op.50
印象主義を代表する2人の作曲家にも影響を与えたパヴァーヌ
『パヴァーヌ』は1886年に管弦楽曲として作曲され、翌1887年に合唱パートが追加されました。この楽曲は1919年初演の舞台音楽、『マスクとベルガマスクOp.112』の終曲(第8曲)にも転用されています。
『レクイエム』と並びフォーレの中期を代表する傑作であり、また「シチリアーノ」や「夢のあとに」などと共に、フォーレの作品で外すことのできない人気曲の一つとなっています。
歌詞は詩人のロベール・ドゥ・モンテスキュー=フェザンサク伯爵に提供されたものが用いられていて、1886年にジュール・ダンベ演奏会管弦楽団のために作曲された管弦楽曲が原曲です。
この原曲を聴いたパトロンのグレッフュル伯爵夫人の推奨で、翌年に合唱も付けられた作品として生まれ変わり、管弦楽曲にも合唱曲にも分類されますが、管弦楽のみで演奏されることも多い作品です。
この作品は後の印象主義を代表する2人の作曲家にも影響を与えていて、ドビュッシーは触発される形で、出版前にパヴァーヌとして書いたベルガマスク組曲の「パスピエ」を生み出しました。
また、フォーレの弟子であったラヴェルはパヴァーヌ形式の影響を受け、名曲「亡き王女のためのパヴァーヌ」を生み出しています。
ちなみにパヴァーヌとは、16世紀前半にヨーロッパで流行したスペイン起源の舞曲で、名称の由来はイタリアのパドヴァに由来すると言われています。
また、孔雀の尻尾(スペイン語:pavon)に見立てられたとも言われていて、テンポの遅い2拍子で「くじゃく舞」とも訳されます。
フォーレがオルガニストを務めたパリのマドレーヌ教会内部
フォーレのパヴァーヌは、甘美で崇高であり清楚な旋律美で知られ、フォーレ自身が演奏している録音やピアノロールも現存しています。
管弦楽版の他にピアノ編曲や独奏、他にも様々な編曲で親しまれ、ポピュラーのソロ・ボーカル曲としても歌われています。