交響曲第1番 ハ短調 Op.68 第2楽章
ひときわ甘美で流麗な緩徐楽章
ブラームスが交響曲のスケッチを始めたのは1855年(22歳)のことで、シューマンの『マンフレッド序曲』を聴いたことがきっかけとなりました。
しかし、交響曲を書くとなればベートーヴェンの9曲の交響曲が厳然として存在していて、ブラームスはベートーヴェンを尊敬しており、ブラームスは自己批判も厳しくした人間であっただけに、筆の重みを感じたのもひとしおであったと推測できます。
ベートーヴェンの前にハイドンやモーツァルトの交響曲があったのと同じく、ブラームスの前にはベートーヴェンの存在があり、かりにも交響曲を作曲するとなれば、先人の作品に照らして恥じないだけの交響曲を作ろうとする義務感と自負心があったと考えられます。
このため、ブラームスはベートーヴェンの9つの交響曲を意識するあまり、管弦楽曲、特に交響曲の発表に関して非常に慎重であったことで知られていて、特に最初の交響曲は厳しく推敲が重ねられ、着想から完成までに21年という歳月を要し、ブラームスは既に43歳になっていました。
第2楽章はオーボエ、ホルン、ヴァイオリンの独奏をあしらった歌謡的楽章で、ブラームスの緩徐楽章の中でもひときわ甘美・流麗です。
明朗で輝かしいはずのホ長調の調性で書かれているにも関わらず、いかにもブラームスらしい孤独の影を宿した、渋く侘しい色調に楽章全体が支配されています。