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交響曲 ニ短調 第3楽章

 

 

フランスの2大交響曲と評される重厚で力強いドイツ的な音楽

 

「交響曲ニ短調」Op.48は、1888年に作曲されたフランクの唯一の交響曲で、フランクの作品の中では「ヴァイオリン・ソナタ」と並んで広く一般に親しまれています。

 

循環形式による堅固な構成感で知られ、フランスの代表的交響曲の一つであり、ベルリオーズの幻想交響曲などと共に、19世紀後半における最も重要な交響曲の一つとして高く評価されています。

 

フランクの主要作品は晩年に集中していますが、この「交響曲ニ短調」Op.48も、フランクが亡くなる2年前の66歳で書いた最晩年の作品で、フランクの弟子であるアンリ・デュパルクに献呈されています。

 

一家がベルギーからフランスに移住した後、フランクはパリ音楽院に学び、教会でオルガニストをしながら作曲に励み、フランクは華やかな表舞台を嫌いひたすら地道に創作活動を続け、リストやショパンも認めるほどの才能を現します。

 

サン=サーンスが1886年に発表した『オルガン付き』交響曲や、ダンディの『フランスの山人の歌による交響曲』の成功に影響を受け、フランクは60歳を超えていましたが作曲を決意し、1886年から創作が開始され1888年8月22日に完成しました。

 

初演は1889年2月17日、パリ音楽院の演奏会でジュール・ガルサンの指揮で行われましたが、初演当時はフランクの音楽は世間から理解されず、聴衆はあくびをし、無気力な作風であると酷評されました。

 

また批評家などからは、「荒涼とした、陰湿な交響曲」、「ドグマの域にまで達した不能性の断言」(シャルル・グノー)などと評されました。

 

しかし、フランクはそれに気を落とすことはなく、自分の想像していた通りの音が響いたことに満足していたと言われ、ドビュッシーはこの曲を絶賛したといいます。

 

パリ楽壇ではそのころはマイアベーア風な気の利いた、極めて底の浅い音楽がもてはやされ、その中で真に古典的な音楽の創造を目指したフランクは、ひとり世間を離れて研究と創作に没頭するより他ありませんでした。

 

フランクの作品は表面的な華やかさとは無縁のものであり、ワーグナー的に誇大でそれでいて実質的には無内容な音楽とも異なっています。

 

フランクのオーケストレーションは、ドビュッシーやラヴェルから連想されるような「フランス音楽」の華やかさとは対照的であり、極めて鈍く渋い音色が多用されていることが特徴的で、またオルガン風の響きも多いことから、オルガン用に編曲・演奏される機会もあります。

 

こうした音楽の性格は、フランクの信仰やバッハやベートーヴェン世界への傾倒から帰結されたのであると同時に、フランクがベルギーという地理的にも恵まれたところで生まれたことも関係していると言えます。

 

ベルギーの首都ブリュッセル

 

 

 

ドイツとフランスの中間に位置し、北方的ゴシック的世界に属すベルギー人であったことが、恐らくはフランクをドイツ的思索性の強い芸術に向かわせると共に、論理の明晰性や古典的形態秩序を尊ぶフランス的なものへと赴かせたのでしょう。

 

そしてそれらの総合の上に成立したのが「交響曲ニ短調」Op.48をはじめとする、フランクの創造世界であると言えます。

 

 

 
  





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