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交響曲 第9番 ニ短調 第1楽章

 

 

ブルックナー音楽の真髄で最終形とも言える作品

 

「交響曲第9番ニ短調」は、ブルックナー(1896年10月11日没)の最後の交響曲で、終楽章が未完成のまま残された作品です。

 

交響曲の定石通り全部で4楽章の構成で作曲される予定でしたが、完成されたのは第3楽章までとなっており、第4楽章はブルックナーの死去によって未完成のままに終わっています。

 

未完成に終わった第4楽章の自筆楽譜は、ソナタ形式の再現部の第3主題部で筆が止まっており、実際の演奏では実演・録音とも完成している第1-3楽章のみで演奏されることが殆どですが、第4楽章の補筆完成の試みもなされています。

 

1887年夏、ブルックナーは交響曲第8番を完成させた後すぐに「第9番」の作曲に取り掛かっていますが、実際には第1番や交響曲第8番などの旧作の改訂に労力を費やしています。

 

「第9番」の作曲に本腰を入れ始めたのは、1892年12月に交響曲第8番が初演された後のことで、持病が悪化していく中、ようやく1894年11月30日に第3楽章まで完成させました。

 

第3楽章の完成後ブルックナーの病状はさらに悪化し、住居での階段の上り下りが困難になったため、皇帝の配慮によってベルヴェデーレ宮殿の住居が提供されました。

 

その後さらに病状が悪化していく中、それでもブルックナーは諦めることなく筆を執り続け、1896年10月11日に亡くなる当日の午前まで第4楽章の作曲に専念していました。

 

その後の午後3時過ぎにブルックナーは息を引き取り、72年の生涯に幕を閉じました。全曲の完成には至りませんでしたが、彼は事前にウィーン大学の講義において、この作品が未完成に終わった場合には、自作のテ・デウムを演奏するように示唆しています。

 

「第9番」は「第8番」を書き上げてすぐ取り掛かった交響曲だけあって、「第9番」には「第8番」との共通性が感じられ、曲が根拠づけられているその根源において、「第9番」は「第8番」との共感を響かせています。

 

「第8番」で歌い出されていたものが、いっそうの深まりをみせて「第9番」で響き表れていると言える作品です。

 

ブルックナーはベートーヴェンの「交響曲第9番」と同じ”ニ短調”の調性で書いており、この作品の献辞として譜面にドイツ語で「愛する神に捧ぐ」(Dem lieben Gott)と書き記しています。

 

初演は1903年2月11日ウィーンにて、フェルディナント・レーヴェの指揮によって行われました。なお、初演で用いられた譜面はレーヴェによる改訂版です。

 

19世紀はヨーロッパにおいても宗教が後退した時代であると言われますが、ブルックナーは生涯に渡って神への信仰に生きた人間であり、その少年聖歌隊員及びオルガニストとして彼が育った、聖フロリアンこそブルックナーの存在の源泉でした。

 

ウィーンに移り住んでからもブルックナーは度々聖フロリアンに里帰りし、ウィーンで没したにも関わらず、遺体は彼の遺言によって聖フロリアン修道院の地下室に移され、ちょうど大オルガンの真下にあたる所に安置されています。

 

棺は遺言により本人が愛したパイプオルガンの真下に安置

 

 

ブルックナーの交響曲が、個人的感情の表白を旨とした19世紀ロマン派音楽の中にありながら、彼の生涯を彩る様々な個人的経験とは殆ど無関係に成立しているのも、ブルックナーが常にその本質において、彼個人を超えたところに創造の源泉を見い出していたからと言えます。

 

ブルックナーの交響曲は美的可能性の追求によって創り出された、音の響による巨大な構造態であり、それは言葉による解説を受け付けないもので、輝かしい美的秩序の神の創造を可能にさせた作品と言えるでしょう。

 

 

 
  




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