アレクサンドル・ボロディン 【Alexander Porfir'evich Borodin】 (1833-1887)
アレクサンドル・ポルフィーリエヴィチ・ボロディン(Alexander Porfir’evich Borodin, 1833年10月31日(ユリウス暦)/11月12日(グレゴリオ暦) - 1887年2月15日/2月27日)はロシアの作曲家、化学者、医師。
ロシア音楽の作曲に打ち込んだロシア5人組の一人で、ボロディンは作曲家としてその道に秀でていたにも関わらず、いつも化学者として収入を得ており、化学の世界においては特にアルデヒドに関する研究によって非常に尊敬されていました。
結果的に「日曜作曲家」を自称することになり、同時代人ほど多作家ではなかったものの、2つの交響曲や音画《中央アジアにて》(通称;交響詩《中央アジアの草原にて》)、抒情美を讃えて人気の高い「夜想曲」で有名な《弦楽四重奏曲 第2番》は、益々盛んに演奏されています。
一握りの歌曲とピアノ曲も残され、中でもピアノ曲《スケルツォ 変イ長調》は、ラフマニノフが名演奏を録音に残しています。
ボロディンは《交響曲 第3番》にも着手しましたが、完成できずに世を去り、後にグラズノフによって「完成」されました。
ただし、どの部分がオリジナルでどの部分が補筆か不明確な部分が多いため、この作品はボロディンの真作として扱われない傾向にあります。
その後、未完成のチェロ・ソナタなど初期の室内楽曲も見直されつつあります。