マヌエル・デ・ファリャ 【Manuel de Falla y Matheu】 (1876-1946)
マヌエル・デ・ファリャ・イ・マテウ(Manuel de Falla y Matheu, 1876年11月23日カディス - 1946年11月14日アルゼンチン・コルドバ)はスペインの作曲家。
晩年にフランコ政権を避けて南米に亡命し、1907年から1914年までパリに赴き、ドビュッシーやデュカスらと親交を結びます。
ラヴェルやフローラン・シュミットとは、芸術家サークル「アパッシュ」を旗揚げし、第一次世界大戦勃発でマドリッドに戻るまではさほど作曲はしていません。
最も有名なファリャ作品が書かれるのは、マドリッドに戻ってからであり、ピアノと管弦楽のための交響的印象《スペインの庭の夜 Noches en los jardines de España》(1916年)があります。
その他にバレエ音楽《恋は魔術師 El amor brujo》(1915年作曲、単独でも演奏される〈火祭りの踊り〉で有名)、ロシア・バレエ団のために作曲された《三角帽子 El sombrero de tres picos》(1917年作曲)があります。
これらの作品では、民族主義と印象主義の両方がバランスよく混在しています。