ジョン・フィールド 【John Field】 (1782-1837)
ジョン・フィールド(John Field, 1782年7月26日 - 1837年1月23日)は、19世紀の初めに活動したアイルランドの作曲家、ピアニスト。
特に最初に「夜想曲」(Nocturne)を書いた作曲家として知られ、1793年11歳のフィールドは、家族と共にロンドンに移住し、作曲家でピアノの製造も手掛けていたムツィオ・クレメンティのもとで学びました。
17歳の頃には彼の最初のピアノ協奏曲の初演が行われていたと言われており、1801年に彼の最初のピアノソナタ集が出版され、この頃から作曲家としての活動が盛んになりました。
1802年7月に彼はクレメンティと共にヨーロッパを回り、パリやウィーンなど各地で名声を博し、その後クレメンティに連れられてロシアのサンクトペテルブルクへ移ります。
彼は1803年6月にクレメンティが去った後もこの地に留まり、演奏家とピアノの指導者としての活動を続けました。
1804年に最初の交響曲を初演し、その後もロシア各地の貴族社会から熱烈に歓迎され、一時は「フィールドを知らないことは、罪悪である」とまで評されていたとされます。
1810年28歳のフィールドは、モスクワでの教え子の1人であったアデライデと結婚し、1819年にエイドリアン・フィールドを授かります。
1815年にはフランス女性との間に男児レオン・シャルパンティエをもうけており、レオンは後にピアノ奏者となり父と共に演奏旅行をしています。
フィールドにとってこの頃が人生の絶頂期であり、この頃の教え子の1人に後に作曲家として知られるミハイル・グリンカがいました。
彼の書いたそれまでの形式に捉われない単一楽章のピアノ作品の夜想曲(ノクターン)は、ショパンに大きな影響を与え、また後のメンデルスゾーン、シューマン、リスト、グリーグらのロマン派作曲家の作品の先駆けとなりました。
また、1808年26歳の時にモスクワで出版したピアノ連弾曲イ短調は、ロシアの民謡を取り入れたもので当時としては珍しいものでした。