能の謡と囃子~狂言の音楽~
能は謡という声楽に乗せてストーリーが展開していく。謡は立チ方と呼ばれる役者が謡うのはもちろん、地謡によっても謡われる点に大きな意味がある。地謡が登場人物の心情を謡うことで立チ方は舞に専念し、さらに背景のない舞台空間でその場の情景や雰囲気を描写するなど、地謡は陰ながら最も重要な役割を担っている。
謡の音楽的な面白さは第一にリズムが非常に複雑なことにある。様式的な抑揚を付けたコトバと、より音楽的なフシに大別できるが、フシには拍の感覚を明確に出さない拍子不合と、基本的に8拍の単位からなる拍子合とがある。拍子不合にはスラスラ朗唱風に謡うサシノリと生み字を出してたっぷり謡う詠ノリとがあり、拍子合には7・5調の文体を8拍に収める理論が発達している平ノリ、8・8調を8拍に収める修羅(中)ノリ、4・4調を8拍に謡い込む大ノリがある。
謡の音組織には現在、ヨワ吟とツヨ吟の2種類がある。譜例のようにヨワ吟は4度の音程を積み重ねた形で、息扱いも柔らかく豊かな旋律線を描く。
対照的にツヨ吟は約3度という狭く不安定な音程幅での動きとなり、旋律の豊かさよりも気迫のこもった息扱いを聞かせる。原則的には優美な役柄や哀愁に満ちた場面にはツヨ吟が用いられるが、この吟型とリズム型とを組み合わせてさまざまな表現力を得ている。ツヨ吟は江戸末期に現在の形に整ったもので、謡のリズムにもいろいろな変遷がみられる点など、能の音楽は変化し続けている。
(6)能の囃子
囃子とは「栄やす」、つまりある対象を引き立たせる行為から派生した語で、能では謡や舞を栄やすことを目的とする。
だが、対象に従属することなく、独自の理論で音楽を構築している点に囃子の大きな特徴がある。能の囃子の編成は能管、小鼓、大鼓、太鼓からなり、基本的には各楽器ひとりずつの演奏となるが、太鼓は現在のレパートリー約240曲の内、ほぼ3分の2、しかも1曲の後半でしか用いられない。
能管は単に笛とも称される竹製の横笛。唯一の旋律楽器でありながらリズムを吹くといわれ、美しく旋律を奏でることよりもリズムを重視する。外見は雅楽の竜笛に大変似ているが、<喉>という竹管を笛の吹き口と指穴の間の管のなかに入れた二重構造を取っており、これによって能管に独特な不安定な音高と、鋭く孤高の音色を有する。
小鼓、大鼓、太鼓は胴を馬革で挟む小鼓と大鼓とは合わせて<大小>といわれ、ペアとなる音組織をもつ。右手で下から打ち上げる小鼓は雅楽の鼓を源流とし、風流などで行われた曲芸的な奏法が定着したと思われる。革に適当な湿度が必要で、その音色は暖かく柔らかい。逆に右手を水平に振って打つ大鼓は、演奏前に2時間ほど革を炭火でカンカンに焙じて堅く鋭い音色を作る。こちらは白拍子や遊女の歌舞を囃した鼓からの転用が推測される。
けやきなどの胴を牛革で挟んだ太鼓は、中心部の撥革を目がけて2本の撥を振り下ろすが、この打法から田楽躍の腰鼓系の楽器が連想される。太鼓の入る曲を太鼓物、太鼓の入らない曲を大小物というが、華やかにツクツクと刻む太鼓の音色は神や天人などの超人間的な存在や超自然的な場面にふさわしく、大小物は亡霊が生前を回想する場面など人間性を深く鋭く描き出す能に適している。
能での指揮者は、音楽を含めた全体を統括するシテ、場合によっては地謡である。シテ、地謡、囃子はそれぞれにコミという呼吸のタイミングで間をはかり、囃子はシテや地謡が発信する合図に従って演奏を進める。たとえばパートリーダー的な役割を受け持つ太鼓(太鼓のない場合は大鼓)はシテの足拍子などの合図を受けて、時間差で大鼓→小鼓→笛へと音楽的なまとまりを告げる意思を伝える。また打楽器奏者のかけるヤ、ハ、ヨーイ、イヤというカケ声は囃子同士がお互いの演奏の主張を確かめ合う手段であると同時に、次の瞬間の演奏をシテと地謡へ示すきっかけとするなど、シテと地謡と囃子との間には即興に近い関係があり、そこに能の音楽の生命と魅力が宿るといえよう。
(7)狂言の言葉
狂言では能のように音楽が重要な要素となる曲目ばかりではないが、常に音楽的な流れを意識した演技が要求される。狂言の音楽は、舞狂言と呼ばれる戲曲全体が能様式に基づいたものから、小舞謡のほか、平家節、浄瑠璃節など当時の流行歌を独特の節回しで謡うものまで、その内容は多岐にわたる。小舞謡とは狂言の短い舞踊である小舞に伴って謡われるもので、狂言においては酒宴の場面などで舞い謡われる。小舞は狂言から独立してそれだけが披露されることもあるので、その際にはもちろん小舞謡もあわせて鑑賞することができる。
狂言の謡には能と同様、ヨワ吟とツヨ吟、拍子合と拍子不合のちがいがある。拍子合には平ノリ、修羅ノリ、大ノリのほかに能の古いリズム型に似て、小舞謡によく出てくる狂言ノリがあり、独自のリズム・パターンをもつ。拍子不合の謡の代表は小歌であるが、生み字で技巧を尽くしてゆったり謡う謡い方などに、特徴的な節扱いが聞かれる。
囃子の入る曲は現在の狂言のレパートリー260曲強の約3分の1程度てで、能における囃子事の名称や用途を同じくするものが多い。だいたいは能での囃子を簡素にしたような演奏で、共通の名称でありながら笛、小鼓、大鼓、太鼓という能での編成が、狂言では笛だけになるものなど、能より素朴であったり、飄逸な雰囲気が目的と考えられる場合もある。能とは異なり囃子方が舞台で横を向いて柔らかな音色で囃すことがあるのも、狂言における特色である。 また能とはちがって、 一曲を通して囃子が演奏されることがない。狂言に地謡が登場することもあるが、やはり一曲の一部分で謡われるもので、ここにも能と狂言との音楽的な相違がみられるといえよう。