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筝と尺八の新たな音楽展開

◆現代の伝承

 

筝音楽と尺八音楽の新たな展開

 

筝と琴

 

昭和40年代までの筝を現す用語には、「筝」と「琴」とがある。本来、「コト」とは弦楽器を示す用語であり、「筝のこと」「琴のこと」「琵琶のこと」と称され、それぞれ区別されていた。筝と琴との楽器構造上の区別としては、筝が柱(ブリッジ)を立てて演奏する一方、琴は一絃琴や二絃琴のように、柱を立てず、共鳴胴の上にポジションの印が付けられている状態の楽器をさしているとされる。しかしながら、和琴のように、琴の文字を用いて柱を立てる楽器もあり、この区分にはまだ解決されない問題も多いが、現段階では、和琴以外の長い胴を持つツィター(ロング・ツィター)はすべて筝の文字で表されている。

 

近代以降の箏音楽の変化

 

現代の箏曲や地歌には、江戸時代以降の作品成立年代ごとの特徴を保った作品が層を成して伝承されている。箏曲や地歌が成立した初期の「組歌」などの作品群、箏曲と地歌の交流を密にした頃の作品群、山田流で発展した歌に主眼を置いた物語性の強い作品群、そして、幕末に登場した新しい傾向の作品、近代の新日本音楽、現代の作品など。楽器としての三味線の変化は少ないが、箏の音楽にはいくつかの大きく変化した点がある。

 

(1)雅楽の箏以外はすべてポリエステルの絃を用いるようになったこと。その理由として、基本音高の上昇により、絃を強く張るようになり絹糸での対応が困難になったことで、切れにくいポリエステル絃が開発されたことがある。

 

(2)基本音高が半音以上上昇したこと。本来、箏は歌の伴奏楽器としてその役割を果たしていたから、明治期までの箏曲の基本音高は、歌い手の声の音域で決められていた。したがって、歌い手が異なれば基本音高も異なった。しかし、明治期の洋楽の器楽性の影響を受け、筝音楽も基本音高を決めるようになり、第一絃をDで取ることで現在にいたっている。

 

しかし、このD音の振動数も明治期と今日では大きく変化した。明治期当初の雅楽の筝は洋楽の調律の影響を受けA=430Hzで調律され、今日までその基本音高が保たれているが、現在の山田流や生田流ではA=442Hzまで上昇している例が多い。

 

(3)楽譜の整備と唱歌譜の衰退。唱歌は、日本の伝統的な音楽の旋律構造を示す「口で唱える」楽譜である。本来、日本音楽の楽譜の機能は、誰もが同じように演奏できるための旋律を固定した楽譜ではなく、記憶のための記録としての楽譜の性格が強かった。したがって、運指法や音高は示されていても、リズムや拍節は示されず、実際の旋律の流れは、「テーン トン シャン」などと歌って体で記憶することを重要としていた。

 

ところが、近代になると洋楽の五線譜の影響を受けて、四分の四拍子のように、等間隔に小節線を書いて区分する楽譜が登場し、視覚的には本来のフレージングと異なった区分がされるようになる。そして、初めは書き添えられていた唱歌も、新しい作品には書かれなくなっていった。

 

(4)新しい作品は、器楽性の高い作品で占められている。現在、箏曲と称される分野の楽器には、十三絃・十七絃・二十絃、そして三十絃があり、宮城道雄の登場以来、器楽性を重視した作品が数多く登場している。十七絃は宮城道雄によって考案された楽器で、箏の音域を低音部分で拡大しようと試みたもの。

 

また、二十絃は日本音楽集団を設立し、伝統楽器の普及を図った作曲家の三木稔が考案した楽器で、箏の本来の音色を生かして音域の拡大を試みたもの。また三十絃は、箏曲家の宮下秀冽が考案した楽器で、箏の音域の飛躍的な拡大を図ったものである。

 

そして、20世紀欧米音楽の影響のもとに、箏から様々な音色を引き出すための演奏法の開発も行われている。これらの多絃の箏の展開は、箏の合奏曲の可能性を大きく広げ、それまで、同じ旋律の斉奏か、本手と替手の2部分構成であった箏の合奏を、様々な音域をカバーするダイナミックな弦楽合奏へと変化させた。

 

また、器楽曲としての箏の新たな作品の登場は、国際的な場での箏の演奏の機会を増やし、今や箏はインターナショナルな楽器として知られるようになった。

*大正琴の登場

 

明治7(1874)年、名古屋の森田吾郎は、ツィター型の新しいいくつかの琴を考案した。この中で、一絃琴のような長細い胴に四弦あるいは五弦の金属弦を張り、タイプライターのキーのような部分を指で押さえて、音高を変化させ旋律を奏でる「大正琴」を作り出した。 この琴の楽譜は数字譜であり、一般の人々への音楽の普及に貢献した。

 

なお、この大正琴はインドにおいて「ブルブルタラン」と呼ばれ、宗教音楽の中に取り入れられている。

 

*尺八音楽の展開

 

普化宗の法具(法器)だった尺八もまた、器楽曲を演奏する楽器として一般の人々の中に浸透していった。特に1960年代以降の尺八音楽の発展は注目に値する。60年代以前の尺八の役割は、主として三曲合奏の中で、箏や三味線と類似した旋律を奏でる役割や、フルートの替わりとして洋楽的な旋律を演奏する役割を果たしていた。

 

そのために、本来は5孔の指孔を、ピアノの12音が出せるように7孔や9孔に改めたり、管ごとに微妙に異なっていた音律を調整し、指孔によって異なる音色や音量を、運指法を変化させることによって均一な音が出るように改良する方向で音楽を変化させてきた。しかしながら、60年代以降は古典本曲の音楽的特徴を生かした奏法が再び注目され、尺八を演奏する時の息音や、指孔によって変わる音質を重要視するようになっている。現在、尺八音楽もまた国際的な評価を受け、外国人のプロの尺八演奏家も欧米で見られるようになっている。

  







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