スパルタのドーリア
ギリシアのアテナイ(アテネ)の小高い丘アクロポリスに、紀元前447年から10年以上の歳月をかけて建設されたパルテノン神殿は、古代ギリシアの建築や美術を知る上での貴重な建造物とされています。
パルテノン神殿は、古代ギリシアの主要な建築様式の一つである「ドーリア式(ドリア式)」で造られた最高峰の作品だと言われています。
「ドーリア」という呼称は、紀元前1100年頃に鉄製の武器を持ってギリシアに侵攻し、ペロポネソス半島に定住したドーリア人に由来し、ドーリア人の代表的な都市はスパルタとされています。
前7世紀にはスパルタが音楽の中心地となり、ギリシアで音楽が初めて国家の保護を受け、厳格な教育の一つの手段として市民生活の中に取り入れられたのはスパルタでの教育でした。
現代でも厳しい教育を表すのに「スパルタ教育」という言葉が使われます。ドーリア人は質実剛健を好み、ドーリア式の建築様式は他のものに比べて力強くシンプルなものでした。
またドーリア人はドーリス、ドリス、ドリアなどとも呼ばれ、ドーリア人の名前は古代ギリシアの音楽にも登場しています。
スパルタの音楽家としてはテルパンドロスとタレタスの名が知られ、テルパンドロスはキタラのノモイ(旋律型)を定め、リラの弦を7本に増やしたとされています。タレタスは音楽で子供たちを訓練したとされています。
古代ギリシアの音楽そのものについては断片ものが多く、数十編の旋律が残されているだけですが、音楽理論や音階論に関わる著作は数多く残っています。
ギリシアの音階は下行形で記す慣習があり、7種類の旋法(音階)があったと考えられています。各民族の名をとって呼ばれているものが多くあり、ドーリア人の名前を冠した「ドリス・オクターヴ(ドリア旋法)」は、その中でも最も基本的な存在でした。
紀元前4世紀、古代ギリシアの音階論は哲学者アリストテレスの弟子のアリストクセノスによって、「ハルモニア原論」として体系的にまとめられ中世の教会旋法にも影響を与えていきます。
<パルテノン神殿>