フォーレ:《レクイエム》 ニ短調 作品48 第4曲 「ピエ・イエス」
安らぎと透明感溢れるレクイエムの核とも言える中心的な曲
『レクイエム』は1886年から翌年にかけて作曲された宗教曲で、1888年1月16日にマドレーヌ寺院において、建築家ルスファシェの葬儀に際してフォーレ自身の指揮によって初演が行われました。
レクイエムの傑作として広く知られ、フォーレの全作品中で最も演奏機会が多く、またモーツァルトとヴェルディの作品と共に「三大レクイエム」の一つに数えられています。
敬虔なカトリック信者であったフォーレは、生まれながらにして宗教的な環境にありましたが、意外にも作曲した宗教音楽は少ないのです。
大げさな表現主義を嫌い、禁欲的な精神の世界に生きたフォーレにとって、当時のロマン主義的な宗教曲が彼の美学と一致しなかったのは当然のことと言えます。
それだけにフォーレの作品の中で唯一の宗教的大作であるレクイエムであっても、彼の音楽上の特質は少しも失われていないのです。
近化的な和声法や大胆な転調こそ試みられていますが、その美しく清澄な佇まいは、素朴な信仰心を一際鮮やかに浮かび上がらせています。
そのことからマドレーヌ寺院での初演の際、「斬新過ぎる」と寺院の司祭から叱責されたほか、「死の恐ろしさが表現されていない」「異教徒的」などとの批判が当時から出ていたと言います。
実際にフォーレのレクイエムの構成は、通常のレクイエムのテキストに比べ、劇的な内容を持つ「ディエス・イレ(怒りの日)」が省かれていました。
また「ベネディクトゥス」の代わりに「ピエ・イエス」が置かれ、さらに最後に「イン・パラディスム」が付け加えられるという構成で、そのままではミサに使用することが出来ない形式がとられていました。
これらの批判に対してフォーレは、1902年に書いた手紙で次のように綴っています。
「私のレクイエム…は、死に対する恐怖感を表現していないと言われており、中にはこの曲を死の子守歌と呼んだ人もいます。しかし、私には死はそのように感じられるのであり、それは苦しみというよりむしろ永遠の至福の喜びに満ちた開放感に他なりません。」
また晩年の1921年には、歌劇『ペネロペ』の脚本家への手紙の中で次のように綴っています。
「私が宗教的幻想として抱いたものは、すべてレクイエムの中に込めました。それに、このレクイエムですら徹頭徹尾、人間的な感情によって支配されているのです。つまり、それは永遠的安らぎに対する信頼感です。」
フォーレがレクイエムを書いた直接のきっかけは、1885年に父親がトゥールーズで死んだことにあると言われ、フォーレは幼い時に里子に出されたこともあって、母親よりも父親の方に愛情を強く感じていたと言われています。
この曲はその父親の死を追悼するために、1886年から翌年にかけて作曲されたとされますが、レクイエムが完成して間もなく、母親も父親の後を追うように没したことから、この作品は結果的に両親の死を悼む曲として初演されることとなりました。
構成
| 第1曲 入祭唱とキリエ【Introitus et Kyrie】ニ長調 オーケストラのユニゾンによる重々しい主音で始まり、キリエではやや律動的になります。 第2曲 奉献唱【Offertorium】ロ短調 第3曲 サンクトゥス【Sanctus】変ホ長調 第4曲 ピエ・イェズ【Pie Jesu】変ロ長調 第5曲 アニュス・デイ【Agnus Dei】へ長調 第6曲 リベラ・メ【Libera me】ニ短調 第7曲 イン・パラディスム【In paradisum】ニ長調 |
第4曲「ピエ・イエス」は、ソプラノ独唱が主イエスに死者の安息を祈るアンダンテの曲で、伴奏もピツィカートや弱音器付きの弦がオルガンと一体になって、素朴な祈りに敬虔な雰囲気を添えています。
音楽的にも誇張した絶叫や華麗な表現は意識して避けられており、繊細で美しい響が作り出す節度の中に厳粛な信仰心を聴くことができ、フォーレはこの曲に”センピテルナム(永遠の)”という語を付け加えています。






















