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1970年代以降にみられるポスト・モダニズム

( 2 ) 1970年代以降

 

トーンクラスターに象徴されるように、1960年代には多量の音を扱う傾向があったが、1970年代以降は、音を少なくする傾向に向かう。その点、欧米におけるミニマル・ミュージック(反復音楽) ( 26 参照)や、新ロマン主義、ニュー・シンプリシティーなどの動向と並行関係が認められる。

 

一柳慧のピアノのための《ピアノ・メディア》( 1972)は、数個の音からなる旋律パターンを両手間で周期の異なる状態で反復させ、次第に同じ周期に近づけていく。石井真木のヴァイオリンとピアノのための《響きの表象》(1981)では、短音による旋律パターンを繰り返すピアノに対し、ヴァイオリンはそれとは対照的に音価の長い旋律パターンを奏するが、2パート間にはクレッシェンドの項点が一致する箇所がある。

 

一柳、石井のこれらの作品は一種の反復音楽とみなせるが、アメリカ実験主義音楽の作曲家たちの反復音楽は、反復することによって旋律パターンを音平面へと誘うのに対し、一柳、石井の作品には、パート間で同じリズムが重なる中心を置こうとするのがみてとれる。

 

1940年代以降に生ま れた作曲家たちが活動を始めるのも1970年代である。このころになると、欧米における前衛的動向のおもなものは出尽くしており、この年代に活動を始める作曲家は、それらの前衛音楽の成果をふまえて個人の作風を提起する。

 

そのなかで、池辺晋一郎の《エネルゲイアー60人の奏者のために》 ( 1970)、《ダイモルフィズムーオルガンとオーケストラのために》( 1974)は、個々のパートを緻密に重ね合わせて響きのテクスチャーを作り出す点で、1960年代に普及した音響作法と共通するが、池辺はそのなかから明確な旋律的要素を浮かび上がらせており、その点、ポスト・モダニズムの傾向に与するものもある。

 

池辺の作風は西欧の前衛音楽に近いが、近藤譲の作風はアメリカ実験主義音楽に近い。近藤は、9人の器楽奏者のための《ブリーズ) ( 1970)においては図形楽譜により、奏者に発音のタイミングや発音される音の質などを入念に指示し、発音原理の異なる不特定3楽器のための《スタンディング》 ( 1973)では、ひとりの奏者が1音を発しては、次の奏者が1音を発するという音進行を繰り返す。作曲者はこのような単音の連なりであるような音楽を、聴き手の聴覚的なグルーピング作業によってのみ支えられる音楽と定義する。近藤の音楽はケージの偶然性の音楽、その後のミニマル・ミュージックに重なり合う点もあるが、反復的な音の連なりをグルーピングする方法に独自の発想を示している。

 

佐藤聰明のピアノのための《リタニア》 ( 1973)、 《化身Ⅱ》 ( 1978) においては、トレモロを主体とするピアノと、それをあらかじめ録音したテープの再生とがわずかにずれて同時演奏され、そのなかから、モアレ効果や倍音列の響きが浮かび上がる。ミニマルな手法から独自の響きが引き出されている。

1970年代に入ってからも現代音楽祭は新たに始められるが、それらは1960年代までの現代音楽祭とは性格がいく分異なっている。たとえば1969年に始まった「民音現代作曲音楽祭」は、日本の作曲家に委嘱して初演するという点で、海外作品の紹介を軸としていたそれまでの現代音楽祭とは一線を画している。

 

野田暉行の、声のさまざまな奏法を駆使した混声合唱のためのく死者の書〉( 1971)、 一柳慧の、独奏ヴァイオリンにきわめて鋭利な音進行を担わせたくヴァイオリン協奏曲「循環する風景」〉( 1983)をはじめ、「民音現代作曲音楽祭」を通して数々の記念碑的な作品が生まれることになる。1973年には、1970年の万博の一環として開かれた現代音楽祭を母体とする「今日の音楽」が始まるが、「今日の音楽」では、海外の作品のほか、演奏、日本の作曲界の軌跡、日本伝統音楽がプログラムにのぼる。

 

「民音現代作曲音楽祭」「今日の音楽」に一端が表れているように、1970年代以降は海外の動向を吸収しようとするよりも、1960年代までに吸収した現代の作曲技法をいかに方向付けていくか、その指針を日本の伝統、あるいは独自のシステムに見出そうとする姿勢が優勢になる。1970年代後半にデビーする1950年代生まれの作曲家たちにこの傾向がみられる。

 

たとえば新実徳英は、打楽器アンサンブルのための《アンラサージュ》( 1977) をはじめ、音のまとわりつきとずれを意味するアンラサージュの語をタイトルにもつ一連の作品や、また、尺八本曲に示唆を得たオーケストラのための 《ヘテロリズミクス》 ( 1992)において、アジア的なテクスチャーを抽象化した作風を示している。

 

西村朗は 《弦楽四重奏のためのヘテロフォニー》( 1975~87)、打楽器アンサンブルのための《ケチャ》 ( 1979)、 《2台のピアノと管弦楽のヘテロフォニー》( 1987)、オーケストラのための 《永遠なる渾沌の光の中へ》( 1990)などにおいて、旋律、リズムのヘテロフォニー、およびそこから立ちのぼる響きに着目した作品を書いている。

 

ベルリンに学んだ細川俊夫の作品には、1970年代のドイツの前衛音楽のスタイルが反映されているが、それと同時に日本的な方法も取り入れられている。たとえばオーケストラのための《遠景I》( 1987) は、聴衆を取り囲むように舞台と客席に配されたオーケストラを後景とし、そのなかに各パートを前景として浮き彫りにする。作曲者はそれを山水画の遠近法や雅楽の音楽構造から示唆を得たという。

 

新実、西村、細川のこれらの作品は西欧の前衛音楽の路線にあるのに対し、藤枝守の音楽はアメリカ実験主義音楽の路線にとらえられる。藤枝のピアノのための 《遊星の民話ーバッハの逆行カノンを原型とする9つの操作》( 1980)、 《デコレーション・オファリング》 ( 1983) は、バッハの曲の旋律をシステムに従ってさまざまに変換した形で重ね合わせ、それを通して原曲の旋律を透かし彫りのように浮かびあがらせる。

 

よく知られた調的な旋律や反復的手法を使っている点で、ミニマル・ミュージックに通ずるものがあるが、藤枝は独自のシステムによって反復的な音の連なりに変化を派生させている。一方、欧米にもみられるように、過去の音楽スタイルを用いるポスト・モダニズムの動向も現れてくる。たとえば吉松隆の弦楽オーケストラのための《朱鷺によせる哀歌》( 1980)ではコル・レーニョやグリッサンドなどの現代的奏法のほかに、調的な旋律が使われており、《カムイチカプ交響曲》( 1990)では、クラシック音楽の断片のほかに、ジャズ、ロックも引用されていて、ポスト・モダニズムに加えて多様式主義の特徴もみられる。

 

1970年代以降には、現代曲をレパートリーとする演奏家あるいは演奏家グループがいくつか結成され、その活動を通して日本の現代曲が育まれる。1975年に第1回演奏会を開いたく岡田知之打楽器合奏団〉は、日本の民族打楽器を含む多種類の打楽器のためのアンサンブル作品を委嘱、初演し、打楽器のレパートリーを開拓した。

 

同合奏団を通して、坪能克裕の、ブレーキ・ドラムや紙を使った《天地聲聞》( 1980)、廣瀬量平の、古代楽器を使った《真鳥の水辺》( 1988)等の作品が生まれている。同じく1975年に結成されたくサウンドスペース・アーク〉、1977 年に結成されたくアンサンブル・ヴァン・ドリアン〉は、ヴァイオリン、クラリネット、フルート、ハープ等の西洋の楽器を主体とし、同グループは海外の作品のほか、八村義夫の《ブリージング・フィールド》( 1982)、武満徹の《雨の呪文》 ( 1982)等の日本の作曲家の作品を初演、再演した。

 

くオペラシアターこんにゃく座〉は1974年に旗揚げ公演して以来、座付作曲家の林光による《セロ弾きのゴーシュ》 ( 1986)、林と萩京子との共同作曲による《十二夜》( 1989)等の作品を通して、明瞭で聴き取りやすい日本語の発音と演劇性豊かな演出により、西洋のグランドオペラをモデルにしたオペラ作品とは一線を画する室内オペラを生み出している。これらの日本の演奏家グループとの共同による作曲活動にも、海外に指針を求めるのでなく自身の文化から作曲活動を方向づけようとする傾向が認められる。

  





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