1970年代以降にみられるポスト・モダニズム

トーンクラスターに象徴されるように、1960年代には多量の音を扱う傾向がありましたが、1970年代以降は音を少なくする傾向に向かいます。この点においては、欧米におけるミニマル・ミュージック(反復音楽)や、新ロマン主義、ニュー・シンプリシティーなどの動向と並行関係が見受けられます。

1970年代以降の作品

一柳慧のピアノのための《ピアノ・メディア》(1972)は、数個の音からなる旋律パターンを、両手間で周期の異なる状態で反復させ、次第に同じ周期に近づけていく作品です。

石井真木のヴァイオリンとピアノのための《響きの表象》(1981)では、短音による旋律パターンを繰り返すピアノに対し、ヴァイオリンはそれとは対照的に、音価の長い旋律パターンを演奏しますが、2パート間にはクレッシェンドの項点が一致する箇所があります。

一柳、石井のこれらの作品は、一種の反復音楽とみることができますが、アメリカ実験主義音楽の作曲家たちの反復音楽は、反復することによって旋律パターンを音平面へと誘います。それに対し一柳や石井の作品には、パート間で同じリズムが重なる中心を置こうとするのが垣間見れます。

1940年代以降に生まれた作曲家たちが、活動を始めるのも1970年代のことであります。この頃になると、欧米における前衛的動向の主なものは出尽くしており、この年代に活動を始める作曲家は、それらの前衛音楽の成果を踏まえて個人の作風を提起していきます。

その中に池辺晋一郎の《エネルゲイアー60人の奏者のために》(1970)、《ダイモルフィズムーオルガンとオーケストラのために》(1974)という作品があります。

こちらの作品では、個々のパートを緻密に重ね合わせて響きのテクスチャーを作り出す点で、1960年代に普及した音響作法と共通しますが、池辺はその中から明確な旋律的要素を浮かび上がらせております。

その点はポスト・モダニズムの傾向に与するものもあります。池辺の作風は西欧の前衛音楽に近いですが、近藤譲の作風はアメリカ実験主義音楽に近いものがあります。

近藤は9人の器楽奏者のための《ブリーズ)(1970)において、図形楽譜により奏者に発音のタイミングや、発音される音の質などを入念に指示しています。

発音原理の異なる不特定3楽器のための《スタンディング》(1973)では、一人の奏者が1音を発しては、次の奏者が1音を発するという音進行を繰り返す作品になっています。

作曲者はこのような単音の連なりであるような音楽を、聴き手の聴覚的なグルーピング作業によってのみ支えられる音楽と定義しています。

近藤の音楽はケージの偶然性の音楽、その後のミニマル・ミュージックに重なり合う点もありますが、反復的な音の連なりをグルーピングする方法に独自の発想を示していると言えます。

佐藤聰明のピアノのための《リタニア》(1973)、《化身Ⅱ》(1978)の作品においては、トレモロを主体とするピアノと、それをあらかじめ録音したテープの再生とが僅かにずれて同時演奏され、その中からモアレ効果や倍音列の響きが浮かび上がり、ミニマルな手法から独自の響きが引き出されている作品になっています。

1970年代に入ってからも現代音楽祭は新たに開催されますが、それらは1960年代までの現代音楽祭とは、性質が少なからず異なっています。

例えば、1969年に始まった「民音現代作曲音楽祭」は、日本の作曲家に委嘱して初演するという点で、海外作品の紹介を軸としていたそれまでの現代音楽祭とは一線を画しています。

声の様々な奏法を駆使した野田暉行の作品、混声合唱のためのく死者の書〉(1971)、 独奏ヴァイオリンに極めて鋭利な音進行を担わせた一柳慧の作品、くヴァイオリン協奏曲「循環する風景」〉(1983)があります。

これらの作品をはじめ、「民音現代作曲音楽祭」を通して数々の記念碑的な作品が生まれることになります。1973年には、1970年の万博の一環として開かれた、現代音楽祭を母体とする「今日の音楽」が始まります。「今日の音楽」では、海外の作品の他に演奏、日本の作曲界の軌跡、日本伝統音楽がプログラムにあがります。

「民音現代作曲音楽祭」「今日の音楽」に一端が表れているように、1970年代以降は海外の動向を吸収しようとするよりも、1960年代までに吸収した現代の作曲技法をいかに方向付けていくかが見られます。

その指針を日本の伝統、あるいは独自のシステムに見出そうとする姿勢が優勢になっていきます。1970年代後半にデビーする、1950年代生まれの作曲家たちにこの傾向が見受けられます。

例えば新実徳英は、打楽器アンサンブルのための《アンラサージュ》(1977) をはじめ、音の「まとわりつき」と「ずれ」を意味するアンラサージュの語をタイトルに持つ一連の作品や、その他では尺八本曲に示唆を得たオーケストラのための 《ヘテロリズミクス》(1992)において、アジア的なテクスチャーを抽象化した作風を示した作品になっています。

西村朗は《弦楽四重奏のためのヘテロフォニー》(1975~87)、打楽器アンサンブルのための《ケチャ》(1979)、《2台のピアノと管弦楽のヘテロフォニー》(1987)、オーケストラのための《永遠なる渾沌の光の中へ》(1990)などの作品において、旋律、リズムのヘテロフォニー、およびそこから立ちのぼる響きに着目した作品を書き残しています。

ベルリンに学んだ細川俊夫の作品には、1970年代のドイツの前衛音楽のスタイルが反映されていますが、それと同時に日本的な方法も取り入れられている作品になっています。

例えばオーケストラのための《遠景I》(1987)では、聴衆を取り囲むように舞台と客席に配されたオーケストラを後景とし、その中に各パートを前景として浮き彫りにした作品になっています。

作曲者はそれを山水画の遠近法や、雅楽の音楽構造から示唆を得たと言います。新実、西村、細川のこれらの作品は、西欧の前衛音楽の路線にあるのに対し、藤枝守の音楽はアメリカ実験主義音楽の路線に捉えられています。

藤枝のピアノのための《遊星の民話ーバッハの逆行カノンを原型とする9つの操作》(1980)、《デコレーション・オファリング》(1983) の作品は、バッハの曲の旋律をシステムに従って様々に変換した形で重ね合わせ、それを通して原曲の旋律を透かし彫りのように浮かび上がらせる作品になっています。

よく知られた調的な旋律や反復的手法を使っている点で、ミニマル・ミュージックに通ずるものがありますが、藤枝は独自のシステムによって、反復的な音の連なりに変化を派生させています。

一方、欧米にも見られるように、過去の音楽スタイルを用いるポスト・モダニズムの動向も現れてきます。例えば吉松隆の弦楽オーケストラのための《朱鷺によせる哀歌》(1980)の作品では、コル・レーニョやグリッサンドなどの現代的奏法の他に、調的な旋律が使われています。

《カムイチカプ交響曲》(1990)という作品では、クラシック音楽の断片の他に、ジャズ、ロックも引用されていて、ポスト・モダニズムに加えて多様式主義の特徴も見られる作品になっています。

1970年代以降には現代曲をレパートリーとする演奏家、あるいは演奏家グループがいくつか結成され、その活動を通して日本の現代曲が育まれていきました。

1975年に第1回演奏会を開いたく岡田知之打楽器合奏団〉は、日本の民族打楽器を含む多種類の打楽器のためのアンサンブル作品を委嘱、初演し、打楽器のレパートリーを開拓しました。

同合奏団を通して、ブレーキ・ドラムや紙を使った坪能克裕の作品《天地聲聞》(1980)、古代楽器を使った廣瀬量平の作品《真鳥の水辺》(1988)等の作品が生まれました。

同じく1975年に結成されたくサウンドスペース・アーク〉、1977年に結成されたくアンサンブル・ヴァン・ドリアン〉は、ヴァイオリン、クラリネット、フルート、ハープ等の西洋の楽器を主体とし、海外の作品を演奏しました。

その他にも八村義夫の《ブリージング・フィールド》(1982)、武満徹の《雨の呪文》(1982)等の日本の作曲家の作品を初演、再演しました。

くオペラシアターこんにゃく座〉は、1974年に旗揚げ公演して以来、座付作曲家の林光による《セロ弾きのゴーシュ》(1986)、林と萩京子との共同作曲による《十二夜》(1989)等の作品を演奏しました。

これらの作品を通して、明瞭で聴き取りやすい日本語の発音と演劇性豊かな演出により、西洋のグランドオペラをモデルにしたオペラ作品とは、一線を画する室内オペラを生み出しました。

これらの日本の演奏家グループとの共同による作曲活動にも、海外に指針を求めるのではなく、自身の文化から作曲活動を方向づけようとする傾向が見受けられました。

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